世界の絶景温泉

世界の見知らぬ温泉を探して旅しています

B6 八幡平の失われた温泉① 赤川温泉と澄川温泉


 久しぶりに日本の温泉の話題です。私の温泉巡りの原点は1980年代の日本の温泉。海外の温泉に興味を持ち始めたのはその20年後です。1980~90年代にかけて訪れた温泉の中には災害、後継者不足、施設の老朽化、赤字などで廃業してしまったものが多くあります。今では絶対に撮ることのできない貴重な写真もありますので、在りし日の温泉をしのびつつ、思い出を記してみたいと思います(記憶に頼っているので、不正確な場合はお許し下さい)。まずは、八幡平を採り上げます。

 八幡平は秋田県と岩手県にまたがる山岳地帯ですが、温泉の宝庫としても有名です。特に秋田県側にはひなびた温泉が多く、何度も旅してきました。この30年間で多くの温泉が失われましたが、衝撃的だったのは赤川温泉と澄川温泉です。ともにひなびた一軒宿でしたが、1997年5月10日に地滑りが発生し、翌11日に発生した大規模な土石流で、どちらも完全に飲み込まれてしまいました。ただ、その一週間ほど前から飲料水に濁りが確認されていたこともあって、10日のうちに従業員も宿泊客も避難していて人的被害がなかったのは幸いでした。

 その前年の1996年に2つの温泉を訪れていたため、テレビでニュースを見たときは本当に衝撃でした。その後、再建されることはなく、今でも連絡道路の入口から先は通行禁止のままです。

 

 赤川温泉に最初に宿泊したのは1990年の夏でした。インターネットもなかった当時、学生時代の友人と二人で温泉巡りをしていたのですが、当日の昼過ぎに電話をして、その日の宿を確保するのが普通でした。ところが、この日は夏休みの土曜日でどこの旅館も満室。周囲に電話ボックスが見当たらず、宿へ電話をかけ始めたのが午後3時近くと出遅れたのも一因です。午後4時前に赤川温泉に電話をすると、「こんな時間に電話してきて、もうみんな断られたんでしょ。オンドル部屋なら一つ空いているよ」と快活な返事。ようやく宿を確保しました。

左:赤川のすぐ脇に建つ赤川温泉
右:2つの浴槽が並ぶ混浴浴場。中央の階段先が脱衣室。

 「オンドルってなんだろ?」と思いながら到着すると、通されたのは三畳一間のゴザ敷の部屋。今では韓国人気もあってオンドルという言葉は耳なじんでいますが、当時ははじめて聞くものでした。地熱による天然の床暖房が入った長屋の一室は猛烈な暑さでした。いくら山岳地帯とはいえ、7月下旬に強烈な床暖房の部屋。「この部屋は特に効きがよくて冬場は人気なんだ」といわれましたが、今は夏なので、ありがたくはありません。

 部屋には裸電球が一つあるのみ。隣の部屋とは薄い板で仕切られているだけで、目の前にいるような感じがするくらい、声が響きます。夜になっても部屋は暑く、窓は全開で寝ました。何とか確保できた部屋に感謝ですが、数多くの温泉宿の中でもトップクラスの衝撃度で、今でも記憶が鮮明です。

左:窓全開のまま、裸電球で過ごすオンドル部屋
右:廊下も裸電球のみ。レトロ感がたまらない

 オンドル部屋以上に衝撃だったのが温泉です。混浴の温泉浴場が一つあるだけで、脱衣室も男女一緒でした。今のように情報があふれる時代ではないので、着いて初めて知りました。当時、混浴風呂は珍しくありませんでしたが、多くの場合、それとは別に女性浴室(混浴風呂よりかなり狭いことが多い)がありました。ところが、ここは混浴風呂しかありませんし、時間交代で入浴するわけでもありません。宿に着いてすぐに入浴しましたが、我々が驚く以上に、女性客の中にも驚いている人が多く、浴室を眺めて部屋に戻ってしまう人もいました。

 夕食は食堂でとりますが、夏の土曜で食事処のキャパシティは限界。時代劇で見るような黒いお膳を据えた広間に、見知らぬ客同士がぎっしりと向かい合わせに並んで夕食です。修学旅行の宿でも、こんなに近距離ではありませんでした。プライバシーという概念が希薄な時代ですから、年齢から出身地、これからどこへ行くのかなど、不躾な質問が飛び交います。各自が注文したビールを互いに注ぎあい、まさに宴会状態です。

 食後、部屋に戻っても暑いだけなので、再び温泉に向かいます。まもなく、先ほど近くに座っていた同年代くらいの女性が2人やってきました。夕食前とは違い、会話も交わし素性もわかっているので、先方も「こんばんは」「先ほどはどうも」とにこやかに挨拶を交わして、同浴です。脱衣室も浴室も裸電球があるだけなので、夜はほの暗く、視野は限られます。

 今にして思えば、これが古き良き湯治場なのでしょう。見知らぬ同士が語り合い、一定の信頼関係のもとで一緒に風呂に浸かる。盗撮などという残念な言葉もないし、そんなことが可能なコンパクトなカメラもない時代でした。

 その後、時代の流れには逆らえず、赤川温泉にも混浴風呂とは別に男女別の浴場が作られました。1996年、後述の澄川温泉に宿泊した際に、入浴だけの利用で立ち寄りました。まだ新しいもののひなびた感じが伝わる浴場に、以前より白濁した湯が溢れていました。

 1990年代は混浴温泉が一斉になくなった時期のように思います。戦前から変わらぬような湯治宿の最後の時期に立ち会えたのは、今振り返ると感謝です。

左:新設された男女別の浴場
右:白い湯の華が沈んだ浴槽に浸かると一斉に舞い上がる

 もう一つの澄川温泉は赤川温泉より上流にあって、少しあか抜けた感じですが、やはりオンドル部屋が中心の宿でした。湯量は豊富で、内湯だけでも2つの浴室に5つの浴槽がありました。浴槽ごとに源泉が異なるのか、第一浴場の2つの浴槽は「酸の湯」「鉄の湯」と呼ばれていました。男女別の浴室ですが、どちらからもアクセスできる打たせ湯浴場「滝の湯」は混浴でした。同じくらいの広さの第二浴場も男女別で、それぞれ「硫黄の湯」と「石膏の湯」と名付けられた浴槽がありました。1つの宿の中で様々な泉質を楽しめる貴重な宿でした。

 第一浴場の脇の坂を下りると、露天の岩風呂が2か所ありました。メインの露天風呂は一部が屋根掛けで、灰色に濁った湯が満ちていました。かなり熱くて、水で薄めないととても入浴できません。露天風呂の周囲の床は地熱で温められていて、はだしで歩くと熱くて飛び跳ねた記憶があります。

左:意外に大きな澄川温泉の全景
右:男女別の第一浴場。「酸の湯」「鉄の湯」という2つの浴槽がある。
左:第一浴場に隣接する打たせ湯浴場のみ混浴
右:第二浴場には白濁した「硫黄の湯」と透明な「石膏の湯」
上から丸見えの位置にある混浴露天風呂。他に小さな露天風呂があるが、どちらも猛烈にアツい。

 もう戻ることのない20世紀の貴重な温泉宿を2つ紹介しました。