世界の絶景温泉

世界の見知らぬ温泉を探して旅しています

B7 八幡平2 玉川、新鳩の湯、トロコ、東トロコ、大沼の各温泉

 前回に続き、八幡平(秋田県側)の失われた温泉を紹介します。今回紹介する写真は1990年と1996年に撮影したものです。

 

1.玉川温泉(の露天風呂)

 最初は玉川温泉です。玉川温泉は今でも営業していますし、pH1.2という強酸性の湯と岩盤浴が人気で、全国からの旅行者や湯治客が絶えません。失われたというのは野趣あふれる露天風呂のことです。

 旅館の周囲は猛烈な地熱地帯で、一周約30分の「玉川温泉自然研究路」が設けられています。湯の華の採取場や、98℃の熱湯が噴出している「大噴(おおぶき、おおぶけ)」など、温泉と大地のエネルギーを感じられるスポットが連続します。研究路の奥には小屋が並び、ゴザを敷いて身体を温める人の姿が見えます。微量の放射線を含む岩盤の上に横たわる珍しい湯治法で知られています。

 当時、この研究路の真っただ中に、野趣あふれる長方形の露天風呂がありました。泉質まで確認はしませんでしたが、館内の透明な湯とは異なり、白濁した温泉がかけ流しでした。周囲を大勢の人が通るのですが、入浴する人も多く、おおらかな時代でした。いつなくなったのかはわかりませんが、今ならこんな開放的な浴槽で入浴する人はおらず、足湯になっていたかもしれません。

往時も今もさほど変わらぬ宿の外観(左)と湯の華採取場(右)
左:研究路の真ん中にある開放的な露天風呂
右:露天風呂を背景に写真を撮る人がいる一方、気にせず入浴する人もいる。

2.新鳩の湯温泉(→廃業)

 玉川温泉の南に玉川ダムが竣工したのは1990年(平成2年)。今では玉川温泉へのアクセスに不可欠な国道341号線も同じ年に全面開通しました。ダム工事によって玉川温泉から南へ30キロの鎧畑までの家並みはダムの下に沈みましたが、唯一の例外として、新鳩の湯温泉がありました。源泉は1970年の水害でダメージを受けましたが、新鳩の湯という名で1972年に復活しました。玉川の中州に建つ一軒宿で当時は電話も通っていません。吊り橋を渡った右手に旅館部と自炊部があり、自炊部に浴場がありました。52℃の硫化水素泉を引いた浴槽は熱めで、川の水を引いたホースで薄めないと入れません。窓が大きく、しかも開け放たれているので露天風呂のような雰囲気でした。川中にはいくつもの源泉があり、ぷくぷくと湧いていました。

左:新鳩の湯温泉はレトロな吊り橋を渡っていく
右:屋根付きだが露天風呂のような内湯はかなり熱い

3.トロコ温泉(→廃業)

 あとは渋めの温泉を一気に紹介します。十和田と結ぶ八幡平アスピーテラインは、今では八幡平観光に欠かせない道路ですが、長年の工事を経て1970年に開通しました。トロコ温泉はその秋田側ゲートの入口近くにある木造2階宿です。訪ねた当時、すでに建物や浴室がかなり老朽化していました。源泉は97℃と高温ですが、泉質はマイルドで飲泉も可能でした。このため、強烈な酸性泉である玉川温泉の仕上げ湯として、帰り道に利用されることが多かったそうです。

トロコ温泉の外観(左)と内風呂(右)。かなり老朽化していた。

4.東トロコ温泉(→廃業)

 元の名は長寿温泉です。経営者が替わり東トロコ温泉という名で営業していました。周囲に比べると新しい宿で、内湯の浴槽は広く、露天風呂もありました。

東トロコ温泉の外観(左)と開放的な雰囲気の内風呂(右)

5.大沼温泉(→廃業)

 トロコ温泉からアスピーテラインを5キロほど東に進むと大沼があり、その湖畔に当時は数軒の宿があり、大沼温泉と総称していました。この時は宿泊もできるドライブインの八幡平レークインで入浴しました。あいにく霧の中となってしまいましたが、露天の岩風呂での入浴は幻想的な雰囲気でした。

八幡平レークインの外観(左)と露天風呂(右)

 前回、今回と八幡平の失われた温泉を中心に紹介しましたが、後生掛、ふけの湯、大深温泉などは当時も今日も人気の温泉のため、この記事では触れませんでした。