世界の絶景温泉

世界の見知らぬ温泉を探して旅しています

B8 失われた温泉 北海道・雷電朝日温泉

 今回は北海道の積丹半島の西、日本海に面した岩内町の山中にあった雷電朝日温泉を紹介します。開湯は江戸時代の1844年(弘化元年)と古く、北海道では指折りの歴史ある温泉です。1963年(昭和38年)に出版され、後に映画やテレビドラマにもなった水上勉の小説「飢餓海峡」に登場する温泉としても知られています。戦後間もない1947年(昭和22年)の同じ日に起きた青函連絡船洞爺丸の沈没事故と岩内町の大火をモチーフに描かれた推理小説で、大火を引き起こした犯人たちが事前に泊まった宿として描かれています。

 温泉は日本海沿いを走る国道229号から、雷電山への登山口に向かう山道を約4キロ進んだ山中にあります。なぜこんな辺鄙な場所の温泉が江戸時代に発見され、また小説に採り上げられたのかというと、北海道の地形が関係しています。ニセコ連峰の山塊はそのまま北側の日本海へと沈み込むため、雷電海岸には断崖絶壁が続きます。今は全長2,754メートルの刀掛トンネルを一気に抜けて、東西に行き来することができますが、昔は朝日温泉経由の山越えの道か、海路を利用するしかありませんでした。このため、朝日温泉前の往来は少なくなかったのです。

 雷電とは変わった地名ですが、源義経との関わりを示す伝説が残されています。東北から蝦夷地へと逃れた義経は、ここで足止めされ、いったんはアイヌ民族の襲撃を受けたものの、彼らに保護されて厳しい冬を過ごします。春になって出立する際、義経の残した「来年(らいねん)、戻る」との言葉が転じて「雷電」になったといわれています。釣りの際に弁慶が刀を置くために一ひねりしたという巨岩は刀掛岩と呼ばれています。

左:雷電岬展望台から刀掛岩を見る
右:晩秋の林道を温泉へと走る

 筆者が雷電朝日温泉を訪れたのは1995年10月のこと。当時の宿には無線電話しかなく、岩内町の連絡所に電話をかけて予約するシステムでした。雪のために11月から休業するという直前の時期でした。温泉へ向かう林道に入ると、すぐに雷電岬の展望台があり、刀掛岩を眺めることができます。未舗装の林道は車一台が何とか走れる程度の幅しかなく、雨上がりで落ち葉が積もって滑りやすいため、慎重に進みます。4キロ弱進んだところにやや広いスペースがあったので、ここに車を停め、山道を少し下って宿に着きました。湯内(ユーナイ)川沿いに建つ山小屋風の宿は木造2階建て。シンプルな和室が九室あるそうですが、紅葉が終わった後の平日でもあり、他に宿泊客はいませんでした。玄関広間に置かれた「飢餓海峡」の本は、ずいぶんと読みこまれていました。

左:カーナビのない時代、こうした看板を見つけると、「この道で間違っていない」と安心する
右:いよいよ朝日温泉に到着
弘化元年(1844年)と記された朝日温泉の玄関

 宿に隣接した内風呂は塩化ビニール製の波板を使ったテントのような建物の中にあります。竹垣で男女の浴室を遮っていますが、岩風呂の奥側はつながっています。硫黄臭を放つ49.5℃の石膏硫化水素泉がかけ流しで、湯口には湯の華を濾しとるための白いガーゼが巻かれていました。外気温は低いものの、浴室内には蒸気が充満していて、ぽかぽかと温まります。

左:雪が積もるのを防ぐかまぼこ型の屋根の浴室。手前に延びる橋を渡って露天風呂に向かう。
右:湯気で曇った岩風呂

 一方、露天風呂は宿から数十メートル先の小川の向かいにあり、丸太を並べただけの橋を渡っていきます。手すりはあるものの、丸太はすべりやすく、下駄履きではなおさらです。転べば冷たい湯内川で水浴びすることになります。露天風呂は内風呂とは別の源泉で、40℃弱の硫黄泉が岩壁や底から湧く足元湧出湯でした。硫黄臭も内風呂より強烈で、湯は白濁していました。加温も加水もしていないぬるめの湯はまさに極楽で、いつまでも浸かっていられます。ただ、晩秋の北海道は寒くて、湯から上がると一瞬で身体が冷えてしまうので、内風呂へ直行です。

左:丸太橋を渡った先に露天風呂がある
右:白濁したぬるめの露天風呂は足元湧出湯
左:小ぶりな毛ガニもついた夕食は海の幸が中心
右:今はなき朝日温泉の分析表

 朝も露天風呂と内風呂を楽しんで、宿を発ちましたが、いつか再訪したいと思いつつも叶いませんでした。秘湯マニアやハイカーなどに支えられ、温泉宿は営業を続けていましたが、私の訪れた8年後の2003年に閉鎖されてしまったのです。経営者が替わり2005年に再開されたと聞いて喜んだのも束の間、2010年7月の豪雨による土砂災害で建物が損壊し、そのまま休業となってしまいました。

 雷電温泉への林道はその後、荒れ果ててしまったそうですが、2021年に整備され、伸び放題の樹木の伐採と剪定が行われ、再び刀掛岩を眺められるようになったと聞きます。宿の建物は崩壊しましたが、ゴミや木の葉をどかしてきれいにすれば露天風呂はまだ入浴できるという報告もあります。ただ、気立ての良いおばあさんが一人で切り盛りしていた素朴な温泉宿には二度と泊まることができません。