世界の絶景温泉

世界の見知らぬ温泉を探して旅しています

B9 1990年の温泉巡り① 名著「諸国いで湯案内(山と渓谷社)」

 また、日本の温泉の話題です。

 これまでに何度か触れましたが、筆者が国内の温泉巡りを始めたのは1980年代の半ばです。昭和の終わり、およそ40年前のことでした。このブログではかつて存在した名湯・秘湯を何度かにわたって紹介しました。海外の温泉だけでなく、失われた日本の温泉に関するマニアックな記事に対し、関心を持ってくださる方も多く、嬉しい限りです。

 40年前といえば、インターネットもスマホもカーナビも携帯型のGPSも何もありません。そんな時代には、数少ない情報をもとに温泉を探し当てること自体が大きな楽しみでした。どうやって温泉を探していたのか、1990年の時点で頼っていた温泉情報を2回にわたって紹介します。

 

1.温泉探しのバイブル「諸国いで湯案内」

 まずは温泉に関する書籍や雑誌が最も重要な情報源でした。中でも美坂哲男氏が著した「諸国いで湯案内」は当時の温泉マニアにとって、バイブルのような本でした。「山と渓谷社」が1988年7月から翌年の3月にかけて刊行した全7巻の書籍は、B5判サイズで見やすいものでした。中高年の温泉マニアなら、おそらく名前を聞いたことがある美坂氏は、一日のうちに次から次へと温泉を回る「ハシゴ湯」を世に広めた人で、当時すでに2000湯を数えており、今でいう「バス旅」のようなテレビ番組にも出演していました。

温泉旅行史を語る上で欠かせない名著「諸国いで湯案内(山と渓谷社)」1巻と3巻の表紙

 「諸国いで湯案内」は昭和の最後に刊行された画期的なガイドブックで、「北海道」「東北」「関東」「甲信越」「東海・北陸」「近畿・中国・四国」「九州」の全7巻で構成されています。それぞれ10~20程度のモデルエリアが示され、美坂氏自身の紀行の形で、主だった温泉が紹介されています。当時としては珍しくカラー写真が豊富で、どんな温泉かが一目瞭然で把握できます。また、巻末にはその地域の温泉一覧が都道府県別にまとめられています。当時としては唯一無二の温泉リストで、温泉名、泉質、温泉施設の数、温泉地の紹介文をすべて3行で簡潔にまとめたすばらしいものでした。美坂氏自身、「編集部の労作」と記していますが、この温泉リストで日本の温泉の全貌を把握して、旅の計画を立てた人は少なくないと思います。

 この本なくして、筆者の温泉巡りはなかったと断言できるほど思い出のある本で、温泉旅から帰るごとに、入湯済みの温泉を巻末リストに一つずつ「○」をつけるのも楽しい作業でした。「いつか全部の温泉を訪ねたい」と思っていましたし、リストにない温泉を現地で見つけると、まるで編集部の皆さんに勝ったような誇らしい気持ちになるほど完ぺきなガイドブックでした。

 ただ、1990年代に入り、バブル景気がはじけると、地方の小さな温泉にも淘汰の波が押し寄せ、リストに記載された温泉が次々と廃業していきました。リストに「〇」をつける前に廃業してしまった温泉名に「×」をつけるのは残念な思いでした。

 もちろん、美坂氏以前にも、温泉地の一覧をまとめた書籍や事典がなかったわけではありませんが、収録している温泉の数と実用的なスタイルという点で比類なきものでした。筆者自身、本を書くようになって、情報収集の大切さと難しさを実感していますが、ネットもスマホもない時代に、これだけのリストを作成するのにどれだけの労力をかけたのだろうと、驚くばかりです。日本の温泉旅行史をひもとく「プロジェクトX」のような番組があれば、出演間違いなしの書籍でしょう。

 

2.美坂氏の本を振り返る

 「諸国いで湯案内」は突然誕生したわけではありません。「山と渓谷社」では美坂氏の書籍をそれまでにも数冊出版していました。連載していた温泉紀行をまとめた「山のいで湯行脚(1980年)」や、その後の温泉旅を書き下ろした「続・山のいで湯行脚(1984年)」です。A5判の白黒印刷で、各項の最後には、温泉概要の2行説明があり、「諸国いで湯案内」の原点ともいえるスタイルでした。

 その後、1986年に刊行された「山のいで湯日本百名湯」は温泉ガイドブックの大きな転換点でした。北海道・東北・関東編(上巻)、中部・西日本編(下巻)の2分冊で、美坂氏が選んだ「100の山の名湯」について、登山と温泉を組み合わせた紀行文のスタイルで紹介しています。B5判サイズのオールカラーで、温泉の魅力が伝わる写真を多く採録し、それまでの温泉本と一線を画すものでした。選ばれた温泉はすべてがとても魅力的で、「100湯すべてを訪れたい」と筆者の温泉熱にも拍車がかかりました。

登山と温泉を組み合わせた名湯100選として名高い「山のいで湯日本百名湯(山と渓谷社)」
古寺鉱泉(山形県)は朝日岳登山の拠点。一軒宿の山小屋朝陽館があった。浴室は一つしかなく男女交替で利用する。奥が冷鉱泉の源泉。手前が加熱槽で、ともにトマトジュースのような濁り湯だった。2019年閉館。

 その後も、山と渓谷社では、「いで湯の山旅 特選紀行(1993年)」、「いで湯行脚三千湯(山と溪谷社、1999年)」と美坂氏の本を出版し続けました。約20年に渡って、同じ著者の本を刊行し続けたのは驚くばかりです。よほどの信頼関係があったのでしょう。

 美坂氏は元々山男で、温泉旅はひたすら歩くが基本です。バス停から10キロ程度なら「歩く」の一択です。今の時代の温泉旅から見ると、効率は悪いものの、人間味あふれるお人柄と文体に惹かれた温泉マニアは数知れないと思います。

 

3.美坂氏とのニアミス

 美坂哲男氏は1920年生まれで、岩波書店に勤務し、辞典編集や校正業務に携わられたとのこと。1982年の退職後は本格的に温泉関連の仕事に従事され、2003年に82歳で亡くなられました。直接お会いする機会はありませんでしたが、次のような思い出があります。

 大分県に鉢山温泉という小さな温泉がありました。地区の集会所にある温泉で、管理人から鍵を借りて入浴します。一人用のバスタブがあるだけで、20分ほどかけて自分で湯を溜めます。気泡あふれる強烈な炭酸泉ですが、時間が経つと酸化するため、バスタブの底は濃い茶色に染まっていました。

 部外者は備え付けの大学ノートに日時、住所、氏名、人数を記入するのですが、1997年に訪れた際、少し手前に美坂氏の名前を発見しました。個人情報という意識がまだ希薄な時代でしたが、律儀にも住所は番地まで書かれていました。「つい先日、美坂さんがこの風呂に浸かったのかぁ」と、やけに感慨深く入浴したのを今でも覚えています。

左:小屋の中に温泉がある。鄙びた温泉を愛するマニアには垂涎の湯だ
右:何の変哲もないポリ風呂だが、温泉はホンモノ

 なお、鉢山温泉をインターネットで検索しても一つも情報がみつかりません。いつ閉館したのかわかりませんが、ネット文化が花開く前に失われた温泉の多くは、何も残さず静かに消え去っています。上述の古寺鉱泉のように、閉館の様子や、その後の建物や付近の橋の現況などを多くの人が報告しているのと対照的です。「ネットに何も残さず消えた温泉」については、これからも折に触れて報告したいと思います。