「〇〇温泉ホテル」という名前の宿泊施設は日本各地にあります。当然のことながら、宿には温泉浴場があります。そうでなければ、「看板に偽りあり」と責められるでしょう。ただ、世界に目を向けると、温泉浴場を備えていない「〇〇温泉ホテル」が実に多くあります。「〇〇温泉」という場所にあるホテルという意味にすぎないのです。
(1) マンモス・ホットスプリングス・ホテル(アメリカ)
アメリカ中西部の山岳地帯に位置するイエローストーン。長い時間をかけて形成された石灰棚や大噴泉、極彩色の源泉池グランドプラズマティックスプリングなど、温泉が紡ぎ出すあらゆる造形を堪能できます。1872年に制定された世界最初の国立公園で、世界遺産が誕生した1978年に登録された最初の12件の一つです。
イエローストーンはワイオミング州北西部を中心に9000平方キロにも及ぶ広大な公園。じっくりと回るには3~4日かかると言われるほどです。中心部の8の字型の周遊道路を1周するだけで230キロもあります。ただ、園内に宿泊できるホテルは数えるほどしかありません。夏場の観光シーズンの予約は半年前にほぼ埋まってしまいます。
マンモス・ホットスプリングスは周遊道路の北側で最も人気の観光地。噴湯丘や石灰棚の造形美を堪能できるエリアです。メインテラスの周遊路を歩くと、新たな石灰棚がまさに形成されていく過程を見学できます。ここにはマンモス・ホットスプリングス・ホテルというイエローストーン全体を代表するホテルがあります。環境に配慮した低層の造りで、部屋もシンプルです。温泉はないものの、圧倒的に便利な立地にあるので、ここに連泊できると、広大な公園を効率的に観光できます。特に、夕方や早朝、観光客もまばらなマンモス・ホットスプリングスを独り占めのように散策できるのがメリットです。筆者が宿泊した際は、朝の散策でメスジカの群れを見ることができました。
イエローストーンは環境保護のため、入浴できる場所が限られています。地下を流れる温泉がガードナー川に勢いよく流れ込む「ボイリングリバー」はその例外です。夜間の入浴は禁止されているため、日中は多くの観光客で賑わいます。マンモス・ホットスプリングス・ホテルからボイリングリバーの駐車場までは2キロと近いので、ホテルに温泉がなくても朝に夕方にと温泉を楽しめます。
(2) バンフ・スプリングスホテル(カナダ)
カナダのカルガリーから北へ130キロ。バンフはカナディアンロッキー観光の中心地として知られています。夏の登山に冬のスキーなど、年間を通して多くの観光客で賑わいます。先住民がいつから温泉を利用していたかは不明ですが、19世紀後半にカナダ太平洋鉄道の従業員が温泉を「発見」しました。当時の中心的な源泉(ケイブ&ベイズン)は貴重な淡水巻貝の生息地として保護され、現在は入浴できません。その代わり、サルファー山の中腹、ゴンドラ乗り場近くのアッパーホットスプリングスは誰もが入浴できます。1886年に開業した歴史ある温泉です。屋外の温泉プールは内壁と底を水色に塗ったごく一般的なものですが、谷を挟んでランドル山を臨むロケーションがすばらしいです。
バンフ・スプリングスホテルは1888年に開業した老舗ホテルで、バンフの町のシンボルです。いったん焼失しましたが、1928年に再建。その後も増築を繰り返し、現在は客室数739(ホテルのサイトより)という巨大ホテルです。かつては温泉を引いていたようですが、今は人工温泉で入浴剤を使用しています。ホテルのパンフレットの英語版では、「100年前の温泉に思いをはせて」といった表現が用いられています。注意深く読まないと温泉であると勘違いしそうな文章です。日本語版では「温泉」があるように誤訳され、旅行会社のサイトでも「温泉」と明記したものが散見されます(ただ、天然温泉とは書いていないので、人工温泉を温泉と記していると解釈すれば、誤訳ではありません)。
宿泊代金は高いものの、一度は泊まってみたいと思い、安めの部屋を予約しました。ホテル内の温泉プールを利用した際、係員にも直接確認しましたが、「天然温泉ではない」との返事でした。プールで使っている入浴剤は売店で販売されています。
もちろん、ほとんどの宿泊客は天然温泉かどうかなど気にせず、憧れのホテルに泊まって満足そうに過ごしています。重厚な外観に歴史と風格を感じさせる内装、ホテルからの眺めなど、さすがバンフを代表するホテルです。天然温泉がないからといってホテルの価値が下がるものではないことを申し添えておきます。なお、ブログの執筆にあたり、宿泊予約サイトをチェックしてみると、8年前の2倍以上の価格で驚きました。これでは、いくら泊まってみたくても予約するかどうか躊躇してしまいます。円安と物価高の影響は本当に深刻で、以前の状態に戻るのを祈るばかりです。