世界の絶景温泉

世界の見知らぬ温泉を探して旅しています

A2 ナゴルノカラバフと周辺の温泉

 拙著「ほぼ本邦初紹介!世界の絶景温泉」で紹介したいくつかの温泉について、現状などを補足します。まずは「ナゴルノカラバフ」についてです。

 カフカス山脈の南に位置するジョージア(グルジア)、アルメニア、アゼルバイジャンの3か国をコーカサス(カフカス)諸国と総称します。拙著では3章の噴泉と4章の濁り湯でこの地域を特集しました。東のカスピ海、西の黒海に挟まれた地域は、東西文明が行き交うまさに要衝です。様々な民族が居住しているため、「文明の十字路」「民族の十字路」と呼ばれてきました。とりわけ、北はロシア、南はトルコとイランという大国に挟まれているため、長らく他民族の支配を受けてきました。この地域は19世紀前半からロシアの支配下に置かれ、20世紀にはソ連を構成する共和国となりましたが、ソ連の崩壊に伴い、3つの国は1991年に独立しました。

 まもなくアルメニアとアゼルバイジャンの間でナゴルノカラバフ地方の領有をめぐる争いが勃発します。それまでアゼルバイジャン領であったナゴルノカラバフとその周辺地域は、1994年の停戦以来、アルメニアの支配域となりました。しかし、2020年の戦争でアゼルバイジャン側がナゴルノカラバフの中心地域を除いて奪還しました。東京新聞のWEB記事にわかりやすい地図があったので転用させてもらいました。2020年までは、図のオレンジ(旧自治州)と緑色のエリアをほぼ合わせた地域は、アルツァク共和国という独立国を自称していました(承認した国はほとんどありません)。

東京新聞 デジタル 2020.11.10 配信

 私がこの地域を訪れたのは2016年9月です。当時、アルメニアとアゼルバイジャンの間で散発的な紛争はごくまれにあったものの、全体としては落ち着いた感じでした。どうしてもこの地域を訪れたかったのは、ズアルとイスティスの2つの温泉に行きたかったためです。爆発するように湧く適温のジャグジー温泉、鮮やかなエメラルドグリーンの鉱泉池など、世界の温泉を語る上で欠くことのできない温泉と考えていました。これらの温泉は上の地図のラチン回廊の北の緑色の部分にありました。当時、この地域は外務省の安全情報でレベル2「不要不急の渡航は止めて下さい」だったと記憶しています(もしかしたらレベル3だったかもしれません)。レベル2なら、「よくある質問」のコーナーでも述べたように、行くか行かないかを迷うレベルです。

左:40℃以上の適温の湯が噴出するズアル温泉
右:エメラルドグリーンの噴泉池が美しいイスティス温泉

 アルメニアには日本語でやりとりできる旅行会社があり、問い合わせてみましたが、「ナゴルノカラバフの手配はできない、止めたほうがよい」との返事でした。次にナゴルノカラバフを紹介している英語の旅行会社に相談しました。すると、主催者の知り合いが何人もナゴルノカラバフに住んでいるそうで、「まったく問題ない。2つの温泉もよく知っているし、安全に旅できます」との返事がありました。いくつか質問をしてみましたが、その都度的確な返事をくれて不安は解消。「これなら大丈夫」との確信を持ちました(うまく言えませんが、行くか行かないかの判断には、この「確信」が重要です)。アルツァク共和国に「入国」するにはビザが必要です。現地でも取得できますが時間がかかるというので、事前にこの会社に取得を依頼しました。

 あとは拍子抜けするほど、ごく普通の旅でした。ラチン回廊の入り口にパスポートコントロールがありますが、ビザを確認してすぐに入国が許可されました。ただし、アルツァクのビザがパスポートに貼られていると、アゼルバイジャンに入国できないというので、別紙でもらいました。アルツァクの国内では地名のアルメニア語か進んでいました。アゼルバイジャン語のラチンはベルゾル。首都のハンケンディはステパナケルトと呼ばれていました。拙著で紹介したイスティスはアゼルバイジャン語で温泉という意味です。当時はアルメニア語でジェルマジュールと呼ばれていたようです。国境付近にかつて使われていた戦車が置かれていた以外、戦争を感じさせるものは何もなく、平穏のうちに温泉巡りを終えました。

 ところが2020年に突如戦争が勃発。トルコに支援されたアゼルバイジャンが優勢で、アルメニアの支配域を一気に奪還しました。その結果、ナゴルノカラバフの中心地(上地図の旧自治州)の大半を除き、アゼルバイジャンに返還されることになりました。

 2023年6月現在、アルメニアとアゼルバイジャンの国境地域は安全情報で最上級のレベル4「退避してください。渡航は止めてください」で、旧アルツァク共和国のエリアはレベル3「渡航は止めてください」のままです。アルメニアの会社での手配もできなくなり、当面の間、行くことのできない温泉になってしまいました。ただ、あまりにも貴重な温泉なので、拙著では2016年の旅行記として紹介しました。

2023年6月外務省安全情報「アルメニア」「アゼルバイジャン」に3つの温泉名を追加しました。

 なお、上の図を見ると、アルメニアのジェルムークと、ズアル、イスティスという3つの強烈な噴泉は、地図上でほぼ一直線に並んでいることがわかります。おそらく地下を湯脈が通っているのでしょう。2016年当時はジェルムークからイスティスまでを4~5日をかけて歩くトレッキングツアーもあり、上記の3つ以外にも多くの温泉を見学できたようです。