多くの宿や施設が浴場の脱衣室や廊下などに「温泉分析書」を掲示しています。これは、源泉の温度、水素イオン濃度指数(pH値)、陽イオン・陰イオン別の成分、分量、組成などをまとめられたもので、その温泉の詳細な「プロフィール」です。興味のない人は見向きもしませんが、一部の温泉マニアにとっては、これだけでご飯を何杯も食べられるほど魅力的です。「やっぱりマグネシウムの含有量が多いと、苦みが強い」「表の数値ほど、シュワシュワしていないから、炭酸が抜けてしまっている」など、自分の体感との一致に納得したり、不一致に驚いたりして楽しめます。実際の分析書は細かい文字でさらにたくさんの情報が記されていますが、読みづらいので、冒頭の写真はわかりやすいダイジェスト版のような表を紹介しました。では、海外の温泉にもあるのでしょうか?
【海外の温泉にも分析表はあります】
もちろん多くの国で分析表が掲示されています(海外では成分や組成を示す表だけということが多いので、以下、「分析表」と呼びます)。ただ、国単位で書式を決めている国はないようで、形式や記載内容は温泉ごとにバラバラです。日本のようにすべての情報をもれなく記載する示すタイプはまれで、主な成分(元素名)だけを紹介している施設が大半です。
共通して言えるのは、分析表を掲示している温泉は、「泉質に自信がある」ということです。筆者が訪れた中で、ごく一部ですが印象的だった分析表を紹介します。
① 海外温泉の分析表の典型例(トルコ)
泥湯で有名なスルタニエ温泉の分析表は、日本の書式にかなり近いです。陽イオン(上段)と陰イオン(下段)に分け、1リットル中の成分量がミリグラム、ミリバル、ミリバル%の単位で表記されています(専門的すぎるので詳しい説明は省略します)。なお、海外では日本のように1㎏中ではなく、1リットル中という表記が主流です。
一番左の成分(元素)名の三段目に注目してください。sodiumという物質が1リットル中9,399㎎も含まれています。海外で温泉を見始めるようになった時、「sodium(上記の表はトルコ語でsodyum)ってなんだろ」と気になって、調べてみました。何とナトリウムなのです。日本で用いるナトリウムはドイツ語で、英語ではソディウムということを知って、とても驚きました。元素に関わる国際標準化団体(IUPAC)は、「名称はsodium、記号はNaとする」と英独折衷の定義を設けています。
成分表をよく見ると、ナトリウム、カルシウム(calcium)、塩素(chlorine)、硫黄(sulfate:カッコ内は英語表記)の含有量がそれぞれ1000㎎を超える濃厚な温泉であることがわかります。スルタニエは泥湯で有名ですが、硫黄臭が強烈で、白い糸状の湯の華が大量に漂っている浴槽が敷地の一角にあります。泥湯だけを楽しんで帰ってしまう観光客が大半で、もったいないのですが、一般の観光客は成分表に見向きもしません。
もう一つはパムッカレ近くのカラハユット温泉のパム・テルマルホテルの分析表です。スルタニエに比べるとシンプルな内容で、英語表記です。ここもナトリウム(sodium、114mg)、カルシウム(calcium、466mg)、二酸化炭素(carbon dioxide、730mg)、硫黄(sulfate、830㎎)、重炭酸塩(bicarbonate、1339㎎)と濃厚です。石灰棚の主成分である炭酸カルシウム(CaCO3)が豊富で、温泉成分が堆積しやすいため、石灰棚のような浴槽を人工的に作りやすいのがわかります。この温泉の見た目や特徴は「地球の歩き方」Webマガジンの連載をご覧ください。
なお、重炭酸塩の値が1,339,569と書かれていますが、日本風の表記では1,339.569で、右側のカンマは小数点の意味です。欧米では小数点をカンマで表記しているケースをよく見かけます。
② 成分濃厚なテ・アロハ温泉(ニュージーランド)
テ・アロハ温泉は私の記憶に残る中ではツルスベ感が最強で、かつ硫黄臭のある温泉でした。浴場のすぐ脇の間欠泉の成分表を示します。1リットル中の重炭酸塩(bicarbonate, HCO−
3)がなんと6,844㎎と驚異的な値です。この数値が正しければ、私の知る限り国内の温泉と比べても最強です。これに含まれる炭酸イオン(CO32−)とナトリウムの化合物が炭酸水素塩(=重曹:NaHCO3)ですので、驚くほどのツルスベ感も納得です。硫黄が363㎎と多いのも見逃せません。なお、ツルスベ感は英語でシルキー(絹のよう)と形容されます。
③ 文字が特徴的な分析表(タイ、韓国、チュニジア)
写真を整理してみたところ、アルファベット以外を使用している国の写真もありました。今は便利な時代で、スマホの画像翻訳ワザを使えば、意味が理解できますが、当時は「意味がわからなくても成分表に違いはないので、とりあえず撮っておこう」と思った写真も含まれます。
タイの温泉分析表はすべてがタイ文字でした。韓国で見つけた分析表もハングルが主体ですが、元素記号(イオン名)がローマ字なので、何の数値かは理解できます。チュニジアで見つけた分析表は英語とアラビア語の併記でした。59℃の温泉が毎秒39リットル湧いていることや主な成分の含有量がわかります。文字が違うだけで分析表の「味わい」が違います。
④ 漢字による元素表記が興味深い中国の分析表
中国にも温泉分析表があります。上の写真は、内蒙古自治区にあるアルシャン温泉の分析表です。この温泉は、「地球の歩き方」Webマガジンの連載で詳しく紹介しましたが、各浴槽の脇に、源泉の番号、源泉名(効能)、湯温、主要成分などを記したプレートが掲示されています。その一枚を抜き出したものですが、偏硅酸(メタケイ酸)、氟(フッ素)、鋰(リチウム)、鍶(ストロンチウム)、氡(ラドン)といった書き方は、日本の分析表とずいぶん異なります。この温泉には30を超える源泉があり、自分の体調や症状に合わせた入浴、飲泉を勧めていましたので、これらの表記は中国医学と関係するのかもしれません。ロシア国境に近い中国北部の温泉なので、ロシア語が併記されています。
もう一つ紹介します。黒竜江省の五大連池鉱泉です。火山と湖が織りなす名勝で短い夏に多くの観光客が訪れます。高温の温泉はありませんが、南飲泉、北飲泉、南洗泉、二龍眼泉、翻花泉など、ミネラル豊富な鉱泉が湧いています。入浴できるのは南洗泉と翻花泉で、ほかは飲泉専用です。上記のような成分表が掲げられていて、鉱泉の味比べを楽しむ人が少なくありません。ここもロシア国境に近いので、ロシア語が併記されています。
アルシャン温泉と異なり、一般の分析表と同じようにマグネシウム(鎂)やカルシウム(鈣)の数値が示されています。マグネシウムは「金」偏に「美」と書くのですね。中国の周期表をみると、見知らぬ漢字がたくさん並んでいますが、すべて日本のワープロ辞書に搭載されていて、JISコードがあるのにも驚きました。
【おわりに】
いかがでしたでしょうか。今回は温泉の写真がなく、数値が並ぶ表だけでした。興味のない方には申し訳ありませんが、ごくごく一部の温泉マニアの方には食い入るように読んでいただけたのではないかと思います。たとえば、脱衣所で分析書を見上げては、一人でブツブツつぶやいているあなたです。少なくともテ・アロハ温泉に行ってみたいと思ったのではないでしょうか。なお、スルタニエとコルブス温泉は 拙著(第二弾)の中で、テ・アロハ温泉も同著のコラムで詳しく紹介しています。
「世界の温泉 ところ変われば」の連載では、湯の華販売、温泉卵、温泉マークなど、さまざまなトピックを採り上げて紹介してきました。掲載した写真は特集のために撮影したわけではありません。これまでに撮りためた写真を今回チェックしてみて「発見」したものが大半です。成分表も「何となく」撮影した写真が多いので、正面からの画像でなかったり、一部が欠けていたりということも多々あります。「こんな写真使うことはないだろう」と思っていた写真が、今回のように役立つのは嬉しいです。
なお、筆者は化学の専門家ではないので、記載内容に誤りがあるかもしれませんし、専門家から見たらもっと含蓄のある解説ができると思います。この点はご容赦下さい。筆者としては、「海外の温泉にも成分表があるんだ」という驚きが伝われば満足です。